「そんで? なんやの、コレは―――――」

ナナシは困惑の為か、眉根を寄せて抗議の声を上げた。

「なに? 何か文句でもあるわけ?」

有無を言わさぬその声音には、吹き荒れるブリザードのような気配を漂わせている。

「ヤ…、文句っちゅーか、なんちゅーか」

身に覚えがないんやけど。そう言いたげな様子でナナシは自分の右手を見た。
黒光りする重厚な手錠が、ナナシの右手と部屋の柱を繋いでいる。

「なんでこうなっとるの、自分? なぁ?」

ナナシの縋るような視線に、は髪を逆立てた。

「もう勝手にフラフラ『何処か』に行かないようによ!それが何なのかは、自分の胸に聞いてみればぁ?」

それはそれは恐ろしく、今のを相手にするくらいなら、チェスの兵隊全員と闘った方がマシだ、と思わせるに易いものだった。

 




想いの標にあと何歩…?

 




は不機嫌だった。
それはもう頗る不機嫌で、通路を歩くそれだけで、まるで街を破壊して闊歩する怪獣ヨロシク、盗賊ギルド・ルベリアの猛者たちが避けて通る程の迫力を孕んでいた。
そしてターゲットは絞られる。

「スタンリーッ!」

まるで爆弾を投下したかのような叫び声に、久々ルベリアに戻っていたスタンリー盗賊団のリーダーのスタンリーは諸手を上げて飛び上がった。

「あ、あら久しぶり、…」

相も変わらず男と主張する割りに、女言葉の抜けないスタンリーだが、今回はそれを追及している暇はない。

「ナナシ、何処?」

ギンッ、と何時もは大きくビー玉のような瞳を三白眼にし、はスタンリーに迫った。スタンリーは顔を引き攣らせる。

「ボ、ボスなら…いつものトコロなんじゃないの?」

はそのスタンリーの返答に、ピクリと青筋を立たせた。

「いつものトコォ?」

それを聞いたの表情には、歴然とした殺意が滲んでいた。

『いつものトコ』―――――――。

それは、あの歓楽街だ。
は静かにスタンリーから視線を逸らすと、何かの気配を揺らめかせてその場にいた、全ての盗賊に言い放つ。

「…ナナシが帰ってきたら、私の部屋に来てって言って」

嘆願系の台詞かと想ったら大間違いだ。逆らえる雰囲気など微塵もからは感じられない。
そのまま最初の迫力のを揺らめかせ、酒瓶や杯片手に固まっている盗賊たちをその纏っているオーラだけで押し退け、は通路の奥へと消えた。
どっっと、溢れる安堵感…そして。

「…ボス。ボスを悪魔に売ってしまう我々を許してくださいね」
スタンリーは胸元で十字を切り、神に煽るポーズでナナシに許しを請うのであった。

 



で、今に至る。
ナナシはよく分からないと言った様子で、相変わらず指先で手錠の鎖を弄ぶ。

「なぁ、結局なんでワイはこーゆー状況に陥っとるワケ?」

もう降参するわ、とナナシは両手をヒョイと上げて降参ポーズをした。
だがはそっぽを向いたまま、ナナシに背を向けて椅子に座っている。
ナナシからはよく見えなかったが、どうやら頬を膨らまして拗ねているようだった。

「もしかして、怒っとる?」

先刻から疑問系しか喋っていないが、この際それは横においておこう。
ナナシはの機嫌を取り戻そうと、慎重に原因を探ろうとする。
ナナシの投げ掛けを無視するということはの怒っている、というシグナルだから、怒っていることは間違いない。
まあ、手錠で繋がれて何も怒っていないとか言われたら、流石に困るが。

、自分に教えてくれへん?」

確信犯と知られたら、きっと彼女のARMでボコボコにされるなと理解しながらも、猫なで声での扉を抉じ開けようとする。
すると。

「行ったでしょ、また」

ぶぅ、と膨れた様子では呟いた。
はて? ナナシは何を言われているか分からないという様子で彼女を見やると、
は投げやりに怒鳴った。

「また、パルディの歓楽街に行ったでしょっ!」

とて子供じゃない。大人達の酒の肴の噂を聞いているので、それくらいの知識はある。
あそこのオンナ達は、オトコを食い物にして金を絞るためならオンナの武器や、一生に一つの愛の言葉すらもいけしゃあしゃあと客に与える。

「恥ずかしいからヤメテって言ったじゃないっ!」

叫んで自覚する。
そうじゃない。本当は、は知っている。
パルディのオンナはオトコを食い物にしているけど、ナナシが行くとその瞳は恋をする女になっていることを。

「バッカじゃないの!?」

でもだからこそナナシが歓楽街に赴くことよりも、彼女たちがナナシに本気なことの方が嫌だった。
何故なら彼女たちには、大抵の男を骨抜きにするくらいの美貌も、術も、ふくよかな胸も持っている、自分とは大きな開きがあるのだから。
は眉根を寄せて、苦しそうにする。
すると。

「そら…なんやスマンかったな」

ナナシのしょんぼりと萎んだ声が聞こえる。
はナナシのことをやっと振り返った。
ナナシは左手で、クセの無い榛色の長髪をガシガシを掻き毟ると、の事を困ったように見詰めている。

「ほんまにちょっと遊びに行っただけなんやけど…、せやんなぁ…歓楽街やもんな」

本当に申しわけ無さそうに繰り返すナナシに彼女の心が動かされ、僅かに顔に笑みが沸いてくる。
『ナナシの心の一番は、どうあってでも最後まで自分であって欲しい』
そんな取り止めもなく切ない欲求が、ほんの僅かでも満たされる―――。
と、その時だった。

ナナシは、を現実に引き摺り戻すには十分な言葉を言った。


「せやな…、妹のオマエからしたら兄貴がそないなトコ行ってるいうんは、嫌な気する筈やもんなぁ」


ナナシはスマンな、。と眩しい位極上な笑みを向ける。
その、なんの悪気もない言葉に彼女の胸は刺されて、そのまま血がすべて流れ出てしまうのではないか。
そう思うほど顔から血の気が引くのがわかる。
は、色を失ったその可愛らしい顔をナナシに悟られまいとした。

「……そうよ、嫌に決まってるじゃない」

たった一度、深呼吸をする。
そして唇を噛み締め、次に顔を上げた時には笑顔になっていた。

「…お兄ちゃんは……、ただでさえ、あっちこっちフラフラしては女の人のオシリばっか追いかけるんだから。それに加えてパルディの女の人がオヨメさんになるとか言われたら、私グレるわよ?」

ツカツカと椅子に座っているナナシの方に歩み寄り、は鍵を取り出してナナシと柱を繋いでいる手錠を外した。

「反省してよね?」

ニッコリと微笑むと、ナナシはの腰に手を回して抱き上げると、自分の膝の上に座らせる。
そしてゆっくり彼女の頭を撫でて。

「そうやなー、反省したした」

この様子だと少々危ういが。
しかしは、もう追求したくなかった。

「お兄ちゃん…」

はそう呟いてナナシの首元に顔を埋めた。

「お兄ちゃん……」

若干漂う酒の匂いと女物の白粉と香水の香りが、鼻腔を刺激するがこれにももう慣れてしまった。
それがどれだけ悲しい事かは、もう考えない事にした。

「んーなんや。眠いんやったらベッドで寝ぇや。風邪引くで」

所詮、甘い雰囲気と程遠い事はとうの昔に知っている。

「お兄ちゃん、私がお兄ちゃんに拾われた時みたいに…して」

両親をなくして泣いていた私を拾ってくれたアナタ。
あの時のようにしがみついて、自分が曲りなりにも愛されているというその言葉を、呪文のように繰り返してもらえれば、その瞬間だけでも女として愛されている、そんな幻想に浸っていられるから。
そんなことを考えていたら、ちゅっと音を立ててナナシのキスが額に落ちてきた。

「ハハッ、可愛ええなぁ。甘えてるん?」

ナナシは軽くそう笑うと、自分の膝の上に横座りしているの小柄な体を抱き竦めると、まるで壊れ物を扱うように長い彼女の髪に指を差しいれて梳いた。

「ワイが守ってやるから安心しいや。な、

その言葉は昔のものと一言一句違わない音を響かせていた。
あの時と、の受け止める心は変わってしまったけれど。
ナナシのその言葉は、決してあの時から変わらない強い意味を持って、の標となって今も輝いている。

それがどれだけ残酷な道程かは、わかっているけれど…。

 

「…お兄ちゃん、大好き」

 

 

その頃、ルベリアの酒盛り場でスタンリーは一人、溜め息をついた。
杯の中の酒を傾け傾け、喧騒から隠れるように呟く。

「切ないわねぇ、も…」

自分たち第三者の前でしか「ナナシ」と「」になれない彼女。
多分今頃は「お兄ちゃん」と「妹」となっているのだろう。
はぁ、と溜め息をもう一度つき…。

「ちょっと、アンタたち煩いっていうのよー!!」
羽目を外している部下に、憂さ晴らしのような雄叫びをあげたのだった――――。








あとがき

もしナナシの妹になれたならV という想像をするとヤマシイことしか思いつかないこの脳みそ。

・作戦コードは「お兄ちゃん、ハイチーズV」! 入手写真をチェスに!クロガに!ばらまいちゃえ(有料)
・装え、純粋な妹!「一緒に寝ていい?寂しいの…」羨むガリアンを尻目にレッツらゴー!!
・目指せパリコレ!「きっとお兄ちゃんに似合う」 殺し文句でキワドイ服も着せてまえっ!

そ し て 最 終 目 標

・満たせ好奇心!「服洗濯してあげる」 大義名分!服を剥ぎ取り、腹の傷から過去を検証すべしっ!
(腹の傷がガリ様により消されていたら、全身隈なく身体検査V 脇腹や胸のあたりに傷があれば金○暗器六之型の証明V)

とりあえず、ナナシ相手では正しい兄妹関係を築けないのは明 白です!(ダメ子…)

 

 

 

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