口づけひとつの恋奴隷
水彩の絵の具を筆で引いたような、茜の空にレギンレイヴ城のシルエットが暗く浮かぶ頃、
城の廊下の深奥のテラス脇に掛かっている、上等なベルベットのカーテンがまるで生きているように動く。
そして僅かに人が囁くような音が、そのカーテンの裏で漏れ聞こえた。
「…ナ、ナナシ。ちょっと待って…。…っん」
言葉の切れ切れに吐息を滲ませて、苦しそうに、しかし誘っているかのように甘く身を捩る。
の唇は潤いで光沢を帯び、エナメルのようだ。
「………っ」
ナナシはそんなの唇をめがけ、もう一度自らの唇を這わせる。
最初は掠めるだけのキス。
そしてに呼吸をさせる隙を与えては、今度は彼女の中に入り込み、その紅く色付いた小さな舌を自分のモノで絡め捕る。
緩急をつけられて刺激される、の神経。
「…ふっ、んん…」
ナナシは薄目を開けて、ぎゅっと閉じた彼女の目元の火照りを至近距離で感じる。
その漏れ聞こえる喘ぎ声の全てが自分に、愛してると言ってくれているようで。
ナナシは唇を這わせたまま左手で彼女の肩を強く抱き寄せて、右手を宙に彷徨わせた。
すると事も無げに、その彷徨っていた右手に熱が絡まってくる。
その熱は、骨張った大きなオトナの男の指に自分の細くてしなやかな指を絡め合わせた。
「んっ…、ナナシ…っ」
懇願するように自分を呼ぶその声。
ナナシは、自分に囚われることを自ら望んだその右手を…強く引き寄せた。
「スケベ」
唇を解放した途端、は何時ものに戻っていた。
その年齢の割には色っぽすぎる胸に手を当てて、呼吸のリズムを取り戻そうとする。
「なんやねん、スケベって。キスだけやろ〜?」
それとも他にもニャンニャンしてええの?
ナナシは何時もは冷静沈着なの、ほんのり頬を上気させた表情ににやにや笑いながらテラスの手摺に腰掛ける。
は憮然として眉根を寄せると、風に翻るカーテンを睨む。
「こんな所に連れ込むのは犯罪…」
「君がギンタたちに自分たちの事知られたくない、ゆーたんやろ?」
そう切り返されると、はぐっと詰まった。
部屋はギンタたちと相部屋だから…とそう哀願したのは確かに自分。
「…だからって連れ込んだ拍子に、あんなキスするなんて」
経験の浅いにナナシの甘さも深さも全て混ぜ合わせて与えるキス。
反則よ…、そう言いつつもは、警戒心の全く感じられない様子でナナシの隣に寄り添い、ナナシの程よく筋肉のついた腕に自分の手を添える。
ナナシはそんなに苦笑した。
「君、少し無防備やで?」
はその言葉に眉間にシワを刻むと、彼の肩から頭を擡げ、睨むようにナナシを見上げた。
その瞬間、ちゅ…と音が響く。
ナナシは顔を離すと、ニヤリと笑った。
「ほら、無防備や」
は急なことに、本気で睨む。
「ナナシのキス魔」
ただ、頬はふわっと紅潮していた。
どうして何時もこう人を喰った様な態度ばかり取るのか。
何処から冗談で何処から本気なのかが全く読めない不思議な男。
が困惑を悟られまいと、拗ねたように唇を結ぶと、ナナシはニヤリと笑った。
ナナシは指に掛けたの顎をくいと持ち上げて、バンダナから覗かせるその瞳をうっすら細めて。
「イヤなん?」
率直にそう尋ねてきた。「自分とキスするの」
は普段無表情の自分の顔が、狼狽に染まって乱されていくのが分かった。
愚問だ―――――。
ナナシは分かってる癖にわざと聞いてくる。
が命懸けの恋をしているのを知っていて、甘えるように小首を傾げてはが心内の扉に閉じ込めている本能を自分から開けさせようと扇動する。
「……ナナシ」
悔しそうに顔を歪めて、はナナシに抗議しようと顔を上げた……が。
黒真珠のような、闇に一等星を抱き込んだようなナナシの瞳は、心内をも透かし映すような深い色。
は自分の全てを飲み込んでしまいそうなその視線に中てられて、逼迫したように目を泳がせた。
「……」
そう呼ぶのは狡い。
けれどそう思いながらも、は小刻みに震える睫毛で縁取られた双眸をゆっくりと、躊躇いながらも閉じる。
『まるで自分で自分を虐げる、矛盾だらけの奴隷だ』
悔しさに身を委ねても猶、満たされたい貪欲さが湧いて出る。
すると、塞がれた視界の向こうで微かに喉を震わす音が聞こえた。
「、エエ子やね」
そう声が聞こえて僅かに時間が絶った後、ふ…とナナシの熱い吐息がひとひら、の唇を愛する寸前で留まる。
しかし、その一瞬の逡巡がに反撃の余地を与えるのには、十分な時間だった。
「…んっ」
はうっすら瞳を細め開け、驚いたように目を丸くしているナナシを定まらない視点で見つめた。
ザマーミロとばかりに笑んで、ナナシの奪う側だったその唇を奪い返す。
そして、そっと唇を離すとは稜線の向こうに消え入ろうとする夕日を背に受け、ナナシを見上げる。
ナナシは少しの間呆けていたが、やがて口の片方を持ち上げて、まるでライバルでも見るような目で笑う。
「……やるやん」
はふふっと含み笑いをすると、髪の毛をさらりと流してナナシに体を預けた。
「奴隷のままじゃ、終わらないんだから…」
はその柔らかい頬を夕日の色に染めたまま、伏せるようにナナシの胸に埋めた―――――。
08.0914―popuriの小瓶誕生日記念。
ナナシに死ぬほどキスされたい、そんな願望を今だって抱えているアンニュイな日々(死)
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